中学の技術科(技術・家庭科)の授業は学ぶ意義があるのか!

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学習指導要領!

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現在の技術・家庭科の授業(必修として)では、

中学1・2年生は、年間70時間、

中学3年生は35時間の時間数で、

各学校が教育課程を編成しています。


年間70時間の授業?

1週間に2時間ということになり、

年間35時間の授業は、1週間に1時間ということです。


ここで、前回のぼやきになりますが、

あくまでも技術・家庭科としての授業時数であって、

1教科の中に「技術科」と「家庭科」が同居しているわけです。


というわけで、技術科の授業はそれぞれ半分の

中学1・2年生は、年間35時間(1週間に1時間)、

中学3年生は、年間17.5時間(1週間に0.5時間)

となるわけです。


平成20年3月告示の学習指導要領改訂は、

技術・家庭科が発足した1958年から6回目になります。


これまでの経緯を見る限りにおいては、

改訂の度に「生産技術」の概念は薄れ、

「生活技術」の概念が明確になっています。


また、度重なる学習領域と時間数の削減であり、

前回(平成10年12月告示)改訂では学習領域(※1)が消滅しました。


しかも、以前は選択領域であった「情報基礎」が、

現行では「情報とコンピュータ」として大きな比重を占めています。


これまでの学習指導要領との対比で、

まず、現行(平成10年版)学習指導要領の

特徴と問題点についてぼやきます。


●授業時数の大幅削減

1989年度版中学校学習指導要領での技術・家庭科の週授業時数は、

中学1・2年は2時間、中学3年は2~3時間であったのが、

それぞれ2時間、1時間となりました。これは冒頭で述べましたが。

完全週5日制に向けた時間数削減という事情を認めたとしても、

小中学校の教科に割り当てられる6759時間の中で、

技術科教育に当てられる割合は、僅かに1.3%の状況になります。

技術・家庭科が発足した1958年中学校学習指導要領では、

「男子向き」「女子向き」の区別はあったものの、

各学年3時間であったことと比較すれば1/3以下になります。


●技術分野と家庭分野の2分野に設定

1989年度版では、技術・家庭科は単一教科なので、

技術科と家庭科の各領域を区別なく並べ、

全ての生徒が履修する領域と

それ以外の領域に分けているところに特徴がありました。

これに対して、現行では、単一教科としての共通の目標は設けているものの、

「技術分野」と「家庭分野」で構成し、

「技術分野」「家庭分野」それぞれの「目標」を

別個に明記している点が重要な特徴です。

つまり、1989年度版中学校学習指導要領と比較した場合、

技術科と家庭科それぞれの目標(独自性)が形式的ではあるが、

相対的に明記された点は評価できます。


●技術分野の内容構成

これが現行の最も重要な特徴、というか問題点です。

これまでの教育課程編成での基本的枠組みであった

教育内容のあるまとまり、すなわち「領域」が無くなり、

単なる学習大項目(内容)の列挙による表示になったことです。

つまり、領域があれば、今電気の勉強とか今木材加工の勉強とか

目的意識が持てるのに対して、

領域が無くなると、教師も子どもも今何を勉強しているのかという

目的意識が薄くなるという可能性が考えられるからです。

大げさに言うと、教師・生徒、保護者にとって

技術科としての学問的背景が不明確になり、

単なる「ものを作るだけの時間」と認識されてしまうということです。


とまあ、ぼやいていたのですが、

平成20年3月告示の学習指導要領には、

領域という名称ではないものの、

しっかりと、学習する内容のまとまりとして、

A:材料と加工に関する技術
B:エネルギー変換に関する技術
C:生物育成に関する技術
D:情報に関する技術

が明記されました。なぜかホッとしました。

まさに、失われた10年間でした。


なぜ失われた10年間って?

技術科教育に関する関係研究機関は、これまでにもずっーと

それぞれ名称が若干異なるものの、

技術科固有の学習内容を提言していて、それらと照らし合わせてみると、

上記のABCDにピッタンコカンカンだからです。


なんで、平成10年版で、あっさりと領域が消滅してしまったのか、

未だに解せませんが・・・


※1 領域

例)1989年版(平成元年)

「A:木材加工」「B:電気」「C:金属加工」「D:機械」

「E:栽培」「F:情報基礎」

「G:家庭生活」「H:食物」「I:被服」「J:住居」「K:保育」

A~Fが技術科となります。



先を見通しプランを構想する力、あるいは段取り力などなど。

他にも表現ありそうですが・・・

企画や構想設計に携わる仕事関係者には必要な力ではないでしょうか。

いきなり就職してから研修で身につけさせる?

何を言いたいのかと。

まさに技術科の授業で大事にしたい、育てたい力が、

先を見通しプランを構想する力じゃないかなと

最近、特にそう思えて仕方ありません。


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技術・家庭科は学ぶ意義は大いにあると思います。がしかし、技術科の教員と家庭科の教員は、同じ所帯にいるのではなく、別れるべきに思います。
[ 2009/03/25 22:33 ] [ 編集 ]
中学時代の技術
記事にすごく共感させて頂きました。突然のコメント失礼致します。

私もつい最近中学を卒業しましたが、私の学校の技術の時間はとても悲惨なものでした。
夏・冬はパソコン室でひたすらネット(先生は自分のパソコンでゲーム)、春・秋は投げやりな説明のあとに各々木材を切ったり接着したり。先生が準備室に篭っている事が多かったので、皆隠れて遊んだり携帯をいじったりしていました。
こんな状況だったのは私の学校だけなのかもしれませんが、確かに「こんなこと本当にしてていいんだろうか」と、特に3年生になってからは強く思いました。

学習指導要領がどう、という問題ではなくその教師だ駄目だっただけかもしれませんが・・・やっぱりもっときちんと、ものづくりの授業をしてほしかったなあと思いますね。

すみません、書いてるうちに言いたいことわからなくなってきちゃいました(汗
何か駄目なところがあったら消してくださって構いませんので。
それでは、失礼しました。
[ 2009/03/25 22:59 ] [ 編集 ]
丁度
丁度その、失われた10年間に中学技術家庭を履修していましたが、技術は古株先生だったおかげか記事を読んだ感じ以前の感じみたいでした。
でも、問題は家庭科。3年通算3回も受けてないような…
1年の時は木材加工・電気関連して、2年の時は機械・金属関連でラジオ作ったり、3年はWord,excel,Access…ずっと情報。
当時うちの学年は荒れていて、家庭科の先生が授業拒否したのが問題なんでしょうけど(ていうか、他の学年はやってるのにうちの学年だけ…おかげで高校なって全然わかんないし。これは単に仕事放棄なんじゃないかと思…)
ほんと、適当なんですねぇ…↓
[ 2009/03/26 04:51 ] [ 編集 ]
 ほかの教科においても、いろいろな手が加わる事情があるのは、確かなことですが、この教科ほど、根本的に、その都度、変容を要求されてきた教科はないと思います。男女別の授業、教科指導内容の削減、時間数の削減など。それに加え、そこに「情報」なるものが、加わり、さらに混迷を深めるものになりました。相対評価から絶対評価に移行され、例えば、評価項目が同じであっても、技術科と家庭科の教員との間での結果にも、食い違いが生じ、それを一つの教科としての評価を出すにつけても、大いに矛盾点があるものです。似たような例が、保健体育の異なる実技においての評価が変わるというのと同じことです。そういう意味で、現実的には、すでに異なる種類の教科として存在するようなものです。皮肉にも、かつて、男子向き、女子向きの指導領域を男子、女子のそれぞれの教員が指導するという、かつての形態と同様なのです。
[ 2009/05/11 04:15 ] [ 編集 ]
教科の悲惨さ
 学力不足がにぎやかに論じられていますが、不足なのか、満足なのかを考える以前に
学習へ臨むという姿勢なり、意欲なりがすこぶる低下しているのは事実に思います。技
術科での学力はといえば、どちらかというと基礎的内容の応用、すなわち、実生活に活
用する知識を養う教科という風にとらえます。例えば、こんなことは以前には、考えら
れなかったことですが、ものさしで測るのに、その単位や目盛りの見方を知らないとい
うような現象まで現れるとは、さて、どの教科で指導すべきなのか、あるいは、いつ、
どんな形でそのような技能が欠落したのか、不思議でならないものです。もっと高度な
内容について、たとえば、立体の構図を頭の中でとらえられないというようなこともあ
ります。
 ずっと、以前は、製図の学習で、立体を描き、それをもとに木工や金工の製作に取り
組むというのが、至極当然でしたが、その製図の学習さえも削減され、ますます、立体
をとらえるという力がなくなってきたものです。ほかの教科はいざ知らず、この教科の
もっとも根幹をなす内容までもが削られ、それゆえに、正確さを必要とする緻密な作業
ができなくなり、ただ、切断し、くぎで貼り合わせれば完了、のようなとらえ方しかで
きなくなったものです。
 そういう”負”の積み重ねが、ますます、この教科への関心をそぎ、教科としての存
立をも危うくする力となってきたと思うのです。上記のコメントのように、そのような
学習へ取り組む姿勢が、指導者のあり方の問題も記述にある上に、子どもたちには、ゲ
ームをしたり、好き勝手にふるまうことがいとも簡単に行える教科になったと言えます。
そうなれば、ますます、指導者の教科への意欲と授業の工夫とが必要なわけですが、最
初にも記したように、個人が何をしようと、自分の勝手でしょ、というようは雰囲気が
ますますまん延し、気ままにふるまうには、うってつけの教科とも言えます。
 今流行りの小から高までの連携の体制の中、皮肉にもこの教科は、中学でしか指導せ
ず、後にも先にも、学ぶチャンスのない教科ゆえに、悪く言えば、どうでもいい教科に
成り下がってしまってるのが実情に思います。もちろん、多くの優秀な先生方が、日々
熱心に取り組まれているという実情は、もちろん承知していますが、学校のパソコン環
境よりも、すぐれた環境が家庭にある現在、それは、非系統的にではあっても、自在に
操るだけの多少の能力があれば、今の情報教育を正当に指導しようとしても、すでに、
子どもたちには、つまらない教科としても映るでしょう。極端な表現をすれば、息抜き
をするには、もっとも適する教科で、パソコンに向かう時だけでなく、木材加工や金属
加工にむかう姿勢も、それと同じになってくると思います。
 木材加工領域が1から3まであったような時代には、それこそ職人さんが担うような
技術にも似た内容を指導していたのですが、そういう生産技術を学ぶことで、ものづく
りを通じて、社会の現場への視野を広げ、培ったものですが、上のコメントにしたよう
に、時間削減、内容削減、つまりは、生活技術をしか指導しない内容は、子どもたちへ
のハードルを下げることができても、この教科がもつ、興味や関心、意欲や工夫といっ
た本来もっている特性を希薄にしてきただけのことに思います。
 その意味では、しょこらさんが記した、この教科の悲惨さは、指導する側にも、指導
を受ける側にも共通なものです。
[ 2009/10/12 04:13 ] [ 編集 ]
修学年限延長
 はたして、教育の課題が、制度の改変で解決されるものだろうか。また、ここに来て、教員養成6年の制度。つまり、教員志願者に修士課程相当の年限を課するというものだ。
 裁量、ゆとり、総合的な学習と、次から次に、バーゲンのように施策が羅列されてきた経緯があるにもかかわらずである。言わずもがなで、これらの施策がもたらした現場の混乱の結果分析を十分にせずにである。しかも、学力低下などにあわてふためいて、また、カリキュラムの変更。たまったものじゃないですね。時間数が増え、登校日が増え、これまでの時間数や日数に慣れてるものが、増すことについていけるのでしょうか。困るのは、先生でしょうね。すでに慣らされたリズムから、また授業数が増え、指導することが増えるとは。
 教員の資質と修業の時間数とは、果たして、比例するものなのでしょうかね。例えば、4大卒でも、短大卒でも教員免許が出されるというのは、どう説明したらいいのでしょうか。に加えて2年の修業年限を伸ばせば、資質の向上になるなんて発想、単純じゃないでしょうか。むしろ、資質は、育まれる面もあるでしょうが、大いに個人の資質に基づくものだと思います。whahとhowは、教壇でどれほどモチベーションをもつかの問題ではないでしょうか。
 大学卒後の方が、その年限よりずっと長いはず。資質は、教員になって積み重ねる方が格段に多いはずです。いつまで、こんな”改変”を繰り返すのでしょう。バージョンアップのつもりが、バージョンダウンにならなけばいいのですがね。そんな時間の中、子どもたちは、良質な教育というサービス(あえて、サービスと表現します)を受けられずに、学齢期をすりぬけていくのだと思います。
[ 2009/11/21 17:22 ] [ 編集 ]
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