中学の技術科(技術・家庭科)の授業は学ぶ意義があるのか!

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技術・家庭科と考古学

前に、卑弥呼の宮殿跡か、邪馬台国論争に決着か

などの見出しで記事を書きましたが、

テレビでもありましたね。

確か、「世界不思議発見」だったでしょうか。


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技術が先か科学が先かと大それたことは言えません。

ただ、歴史的にみても、

古代の建築構造物遺跡などの調査結果から

人間の手によって作られたことは間違いありません。

古代人は、おそらくテコを使って

重いものを動かしたりしたと考えるのが妥当では。

でも、力のモーメントや力学的法則が体系化される以前のことですから、

経験的にテコの原理が使われてきたのでしょう。


話はさらに遡って、

中学生の頃に習った打製石器はどうでしょうか。

ただ闇雲に石を割って製作したのでしょうか。


割れる方向を認識しているからこそ、

巧妙な石斧(せきふ)や石鏃(せきぞく)などが

製作できたのではないでしょうか。

それと、用途に適した材料についても認識があったと考えられます。

例えば、石鏃の材料である黒曜石です。


石鏃の原材料である黒曜石は、

日本の何箇所にしか産出されていなくて、

さらに産地ごとに特徴があるそうです。


でも、遺跡から出土する石鏃の材料である黒曜石をよく観察すると、

明らかに遠方で産出される黒曜石だったりします。


当時にも流通の概念があったと推測できます。

黒曜石の塊(かたまり)が物々交換されてたのかどうかは

わかりませんが、

遺跡から出土する黒曜石の破片をつなぎ合わせると

1つの塊になってしまいます。

明らかに、石鏃を製作する過程で飛び散った黒曜石の破片です。


他にもあげればいろいろあると思いますが、

大昔の人たちは、

生きる上で生活に必要な技術を

何らかの方法(経験的?)で習得していたわけです。


当時の人の「技術」はすごいと感心します。

まさに、生きるために生活に必要な技術です。


「技術」といえば、

高度に発達した現代の「技術」にスポットが当たるし、

実際の授業の中でもそうでしょう。



でも、「技術」は、いつの時代であれ人間が生きる上で

生活に必要な技術として発達してきたものである以上、

教材の拠り所として、

考古学分野も教材研究の対象にしてみてはいかがでしょうか。

すでに、やっているぞ・・・と言われればそれまでですが。




政治的話としてでなく、

単なるボヤキとして聞いてください。

政権党がチェンジしたからでしょうが、

教員免許更新制はどうなるんでしょうか。

すでに受講した先生方もいるというのに。

もう一つ、大学院まで卒業しないと先生になれないんでしょうか。

免許更新にしろ、免許取得修業年限引き上げにしろ、

そんな小手先の制度改革で教員の質が確保できるのかって。




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技術と周辺科学
 「学習指導要領」から、こちらへシフト移動しました。「学習指導要領」にアップしている”しょこら”さん、ほんとに真面目な方だと思います。それにしても、信じられない、授業中に、教師がゲームに浸るというのは、そういうところ、アリの一穴から、技術科の教師のみならず、教師全体への不信感が生まれるものですし、ただでさえ、学校へのクレームが多い中、火に油を注ぐようなものです。
 ネットワークの整備も十分になされ、生徒一人一台の環境が満たされ、それはそれでけっこうなのですが、何事も両面があるもので、一人の教師だけでは目が届かないことも生じるということですね。学校ごとに、パソコンの配置が異なり、いくら、管理モニターがあるとは言え、逐一時、観察することも困難な状況下、指導の内容には目も、耳もくれず、動画サイトやゲームに興ずるということはいとも簡単にできるわけです。それは、”しょこら”さんのアップにもある、非良心的な教師にとっても好都合なわけで、言語道断と言わざるを得ないわけです。
 現場に就いて、何年も経験してきた教師にも、マシンの環境の裏表と同じように、その資質にも両面ある、と言えばあまりにも皮肉な表現かと思いますが、だから、いくら(適度な)教職課程を経ようと、結果、現場でそんな行為(業務ではない)をするような者は、いくら優秀なカリキュラムをマスターしようが、すでに資質を欠いているとしか言いようがないですね。
 ただでさえ、サブ的な教科、具体的に”副教科”と命名される教科、そのような見方、扱いをされがちなのに。「情報」が技術科の領域に組み込まれたのも、政治的な色合いも影を落としていると思うのですが、かといって、子どもみたいにだだをこねるわけにもいかないでしょう。
 以前、「宮崎県の位置を知らない」割合が高いと報じられ、知事もやきもきしてるというような記事がありましたが、今の社会科(小中高)でも、いわば、その地位が低いと聞きます。つまりは、県の位置を知らない結果を生むほど、量、質ともに以前の地理学習とは比較にならないほど、現場の地理の先生が、それこそ、やきもきするほど、地理学習への関心も低いようです。ある地理の専門図書への地理専門の先生の投稿によると、「もちろん、地図学習、地理学習は必要だが、指導する方は、地誌や地理だけを指導するのではなく、地理の周辺で関わる、民俗学、民族学、国際理解教育、開発教育の知識や視野をもたねばならない」と述べています。
 まさしく、技術科においても、全く同様なことが言えると思います。生活技術、生産技術の周辺にかかわる分野が、数多く横たわっていると思います。まして、パソコン室で、子どもたちと同様にゲームにいそしんでいる時間などあるわけないのです。
[ 2009/11/24 19:41 ] [ 編集 ]
仕分け作業?
 刷新とかの題目で、”仕分け”がすすんでいるようですが、科学技術費、とりわけ、スパコン開発費削減に、ノーベル賞受賞の先生もお怒り。それもそのはず。単なる科学技術の問題じゃなく、国力にかかわる問題。
 世界一を誇る明石海峡大橋。世界一に君臨するからには、世界一の技術の上に成り立っている。単に、橋脚間のスケールが、世界一というわけではない。積み重ねた”ブロック”同士の隙間に、わずか、0.04ミリのすき間ゲージが入ってはいけないという鏡面加工の技術こそ、世界一。そう、技術科の授業にも出る、あの”すきまゲージ”。
 ”ものづくりこそ”日本の国力と同時に、そのものづくりへの”知情意”こそ、世界一。まさに、世界一の結晶ではありませんか。一方、”SHINKANSEN”。ここにも、世界に冠たる技術の結晶がある。
 仕分けのために、仕分けされたら、たまったものじゃない。まさに、何をもって、ムダだとか、削減だとかを言うのか。だからこそ、初等、中等教育での教育が、その礎。
[ 2009/11/26 01:42 ] [ 編集 ]
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