中学の技術科(技術・家庭科)の授業は学ぶ意義があるのか!

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高松塚古墳 発掘 芦屋市教委学芸員 森岡秀人 飛鳥美人 恋して40年

高松塚古墳 発掘 芦屋市教委学芸員 森岡秀人 飛鳥美人 恋して40年

 □高松塚古墳を発掘した芦屋市教委学芸員・森岡秀人さん

 ■中学時代から考古学に興味 「飯は食えない」と言われましたが。

 「飛鳥美人」として教科書だけでなく記念切手にもなった高松塚古墳(奈良県明日香村)の飛鳥美人壁画。発見は、40年前の昭和47年3月だった。日本列島に古代史ブームを巻き起こし、人々に感動を与えた発掘に参加していたのが、当時大学生だった森岡秀人さん。今年3月末、還暦になり兵庫県芦屋市教育委員会主査としての定年を迎えた。「私の人生は、高松塚と一緒に歩んできたよう」。しみじみと語った。(聞き手 小畑三秋)

 --壁画発見から40年たちました

 森岡 長かったような、短かったような。高松塚を発掘したのが20歳で、発見40周年の今年が60歳。そして壁画が見つかったのと同じ3月に定年。とても感慨深いです。先月21日には地元の人たちによって古墳の慰霊祭が開かれましたが、私はいつも通り役所の仕事をしていました。でも、あの日だったんだなあといろいろ思い出しました。

 --少しさかのぼりますが、考古学を目指したきっかけは

 森岡 歴史が好きで、神戸市内の中学では歴史部、高校では史学研究部に入りました。進路相談で将来のことを高校の先生に聞かれたので、「考古学の世界に行きたい」と話したら、「それでは飯は食えないよ」といわれました。考古学は当時、趣味の世界の学問と思われていたところがあります。「経済学や理学などの方がいいのでは。就職できないよ」と。

 --関西大に進学しましたね

 森岡 関大の考古学研究室は、学界の重鎮で奈良県立橿原考古学研究所長でもあった、末永雅雄先生(故人)が創設された伝統の研究室なんです。先輩たちの学問に打ち込む気迫はすごかった。考古学を学びたい人は自由に出入りできる独特の学風がありました。その一方、いつでもやめることができ、「来る者拒まず、去る者追わず」という感じでした。かえってそれが学問の厳しさだと思いました。

 --高松塚古墳発掘の経緯について教えてください

 森岡 高度経済成長のまっただ中で、奈良でも開発の波が押し寄せてきました。明日香村では大規模開発はなかったが、農道整備の計画など、高松塚古墳周辺で開発があっても不思議ではありません。また、村史の編纂(へんさん)事業があり、遺跡発掘で新しい成果が必要となり、村や橿原考古学研究所、関大で調査を行いました。

 --調査はいつから

 森岡 (40年前の)3月1日に現場に入りましたが、あたりは雪で真っ白。そこにポツンと周囲より腰高の古墳がありました。とても小さい古墳で、竹やぶに覆われていた。「高松」という名前からイメージした松の木はなかったですね。飛鳥はすでに観光地でしたが、石舞台古墳などからも離れていて、観光客が来ることもなかった。不思議なくらい静かでした。ウグイスのさえずりと、学生たちが測量をする互いのかけ声だけが響いていました。

                   ◇

【プロフィル】森岡秀人

 もりおか・ひでと 昭和27年2月、神戸市生まれ。関西大卒業後、兵庫県芦屋市教育委員会に勤務、市内の発掘調査を手がけるとともに、弥生時代研究に打ち込んだ。主な著書に「稲作伝来」(岩波書店『先史日本を復元する4』共著)、「日本史講座1~東アジアにおける国家の形成」(東京大学出版会、共著)、「高松塚古墳」(読売新聞社『日本の古代遺跡を掘る6』共著)など多数。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120416-00000093-san-soci
※この記事の著作権は配信元に帰属します。



[ 2012/04/16 15:35 ] ◆ 教育ニュース | TB(0) | CM(0)
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