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石川啄木 津波 歌碑 3度目の建立

石川啄木 津波 歌碑 3度目の建立

 岩手県陸前高田市で津波で流された同県出身の歌人・石川啄木(1886~1912)の歌碑を再建立するため、有志が今月13日の啄木没後100年に合わせ、募金活動を始めた。名勝・高田松原にあった歌碑は、1960年のチリ地震と昨年の東日本大震災の津波で2度も流された。関係者たちは「3度立ち上がり、被災者を勇気づけたい」と話している。

 7万本のうち1本だけ津波に耐えて残った「奇跡の一本松」から数百メートル東にある海岸。地盤沈下して海に沈んだ場所に、啄木の歌集「一握の砂」の代表歌「いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握れば指のあひだより落つ」を刻んだ御影(みかげ)石の碑(高さ1.2メートル、幅2.4メートル)が、海に向かって建っていた。

 陸前高田市の元教育長、熊谷睦男さん(77)は「白砂青松の高田松原にピッタリの歌で、郷土の誇りだった」と思い出す。津波に流された歌碑は見つかっていない。

 1912年4月13日に肺結核のため26歳で死去した啄木は、明治三陸大津波から4年後の1900年、旧制盛岡中(現・盛岡一高)の修学旅行で高田松原を訪れた。

 日本百景に選ばれた高田松原に、最初の歌碑が建立されたのは、戦後の1957年。わずか3年後にチリ地震津波で流失したが、同郷で啄木と親交のあった言語学者、金田一京助博士(1882~1971)らが、66年に歌碑をよみがえらせた。

 3度目の歌碑の建立は、陸前高田市出身で石川啄木記念館館長の菅原寿さん(66)らが企画。中学生のころから啄木作品に親しんできた菅原さんは、震災約1カ月後からインターネットのブログで啄木の歌を紹介し、被災者たちを励ましてきた。「流された歌碑は、いまもどこかで犠牲者の魂を慰める役割を果たしているのではないか。新たな歌碑には、復興する街の姿を見守ってほしい」と話す。

 菅原さんらは500万円の募金を目標にし、啄木生誕の日の来年2月20日の新歌碑建立を目指す。問い合わせは啄木記念館(019・683・2315)。【金寿英】



http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120407-00000049-mai-soci
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[ 2012/04/07 18:09 ] ◆ 教育ニュース | TB(0) | CM(0)
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